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長崎地方裁判所 昭和62年(ワ)500号 判決 1989年2月16日

原告

永野修

右訴訟代理人弁護士

横山茂樹

被告

有限会社安全タクシー

右代表者代表取締役

濵﨑行男

右訴訟代理人弁護士

山下誠

主文

一  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、昭和六二年一〇月一八日以降毎月一〇日に金一八万〇二九四円を支払え。

三  被告は、原告に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告は、原告に対し、別紙一の一記載の謝罪文を、同二記載の条件で掲載せよ。

五  原告のその余の請求を棄却する。

六  この判決の二、三項は仮に執行することができる。

七  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告のその余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文一、二項同旨

2  被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一〇月一八日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、被告本社の出入口に別紙二の一記載の謝罪文を同二記載の条件で掲示せよ。

4  金員支払命令につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

被告は、肩書地に本社を置き、一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー業)を営む会社であり、原告は、昭和五七年一〇月以降被告会社にタクシー運転手として雇用されて勤務し、毎月一〇日に賃金として一か月平均一八万〇二九四円の支払を受けていた。

2  本件懲戒解雇

被告会社は、昭和六二年一〇月一八日、原告に対し、同日付内容証明郵便をもって懲戒解雇を通告した。

その内容は、解雇事由として、原告が、昭和六二年一〇月七日被告会社所有の営業車に乗務中、午後一〇時ころ乗客として川崎光幸を上田町より旭町まで乗車させ、料金及びチップとして一〇〇〇円を受領した後、再び同人を料金メーター不倒にて乗車させて料金及びチップとして五〇〇円を受領したにもかかわらずこれを運転日報に記載せず、会社に料金を納めることなく横領着服したという事実を認定し、それに対し、就業規則第二八条第三号、第六号、第八号、第九号及び第一六号を適用するというものであった。

3  本件懲戒解雇の無効

(一) 本件懲戒解雇は、重大な事実を誤認しかつ就業規則の解釈適用を誤ってなされたものであるから違法、無効である。

事実の経過は、つぎのとおりである。

(1) 原告が右日時に運転業務に従事し、いつものとおり、長崎市上田町のバス停付近にあるマツハヤ前で待機していたところ、男性の客が行先を江の浦町と指定し乗車して来た。原告は、客(川崎光幸。以下「川崎」という)の指示するままに江の浦町に向かったが、同町は住家が密集し、狭い路地になっているところであり、辻も多く、徐行しながら川崎に下車場所をたずねながら進行しなければならなかった。原告は川崎の要請で奥の辻で停車し同人を下車させた。その際、料金メーターが九七〇円になっていたので、原告は川崎にその旨伝えたところ、川崎が一〇〇〇円札を出し「ツリはよか」と言って下車した。そこで原告は、礼を言って三〇円をチップとして処理して、右運行及び運賃を運転日報に記入した。

(2) 原告は、そのまま車を三〇メートル位前進させたが、先が袋小路になっていたので、そこでユーターンして、もとの道に戻って来た。すると、先に下車した川崎が下車した付近に立って、「手を上げたような、顔をひねったようなこと」をしていたので、原告はそこに車を停めて、ドアを開け、「この辻じゃなかったんですか」と聞いた。すると川崎が「ここじゃなか」というので、原告は「もういっちょ手前の辻じゃなかったですか」と尋ねた。それに対し、川崎が「そうかもしれん」というように言うので、原告は「それじゃそこまで帰りますけん乗らんですか」と言って川崎を乗車させた。原告はその際メーターを倒さず走ったが、それは、もともとは川崎自身の下車指示の誤りで目的地を行き過ぎて下車したため発生した事態であるとはいえ、客に迷惑をかけたことにはなるし、袋小路の戻り路でもあり、数十メートルという至近距離なので、客に対するサービスの気持で行なったのである。

(3) 原告は、川崎の指示する辻までメーターを倒さず進行して、同人を下車させた。その際、川崎が料金を支払おうとする態度を示したので、原告は川崎に対し、メーターの方を指して「メーター倒していませんから、いいですよ。サービスですよ」という趣旨を述べた。すると、川崎は「よかよか」というような言い方をして、客席から運転席と助手席の間を通して、助手席に五〇〇円硬貨を置いて立ち去った。原告は右のような状況から、客に親切にしてやったので、好意で五〇〇円硬貨を置いて行ってくれたものだと判断し、右五〇〇円をチップとして処理し、運転日報にも記載しなかった。

事実の経過は、以上のとおりであり、このような状況下でタクシー乗務員がサービスのため料金メーターを倒さずに客を乗車させたからと言って、何ら非難されるような行為ではない。又、メーター不倒と料金不要を告げられた客がなおも支払った金五〇〇円は、社会通念上チップと解釈するのが相当である。

したがって、原告がその場でチップとして処理したことは相当であり、何ら非難されるようなことではない。

被告会社は、原告が乗客を降ろしたところが「江の浦町」であることは明らかなのに、殊更「旭町」であるとし、客が交付した五〇〇円がチップであると判断するのが自然かつ合理的であるのに、これを「料金及びチップ」であるとし、さらに原告には当時右五〇〇円を「横領・着服」する意思も行動もなかったのに、敢えて「横領・着服」と表示しており、これらは不自然かつ不合理な事実認定である。

冷静に当時の状況と原告の行動をみるならば、原告が右五〇〇円を全額チップと判断し、そのように処理したことが自然かつ合理的であり、到底料金を横領・着服するなどという意思があったとは言えないことが明らかである。したがって、本件懲戒解雇は重大な事実の誤認あるいは事実の歪曲に基づいてなした誤った処分であるから違法、無効である。

さらに、右懲戒解雇に適用した就業規則の各条項は、原告に料金の横領・着服の故意があって初めて適用されるものであるから、これらを適用してなされた解雇はこの点でも無効である。

(二) 本件懲戒解雇は、行政官庁の指導にも反し、原告に何ら不当、不法な行為がないにもかかわらず、事実を歪曲し、原告に不法行為があったものとしてなされたものであるから、公序良俗に反し違法、無効である。

(1) 本件五〇〇円の処理問題は、川崎が同月一〇日被告会社に対し電話で四一〇円の領収書を要求してきたことから顕在化した。原告は、同日午後〇時半ころ被告会社に呼ばれ、日報を提示されて前記事実経過を思い出して説明し、右五〇〇円をチップとして受領したことを明らかにした。川崎も間もなく被告会社に来て、四一〇円の領収書の発行を要求したが、被告会社側でこれに応じなかったので、「俺はマスコミにも知り合いがあるし、陸運事務局にも行くぞ」等と捨て台詞を残して引揚げた。その後、原告は、川崎がヤクザ風で暴力団員のように感じられたので、会社の為にも早急に円満解決をはかる必要があると考えて、その場で被告会社の松尾営業部長及び濵﨑総務部長(以下、「松尾」及び「濱﨑」ともいう)らに「客は指を詰めているやくざだから領収書を切ったらどうか」と提案したが、濵﨑は「嘘の領収書を書いてやれば、又そのことに対してゆすられる恐れがある。だから会社としては発行できない」と答えこれに応じず、それ以後も、原告に円満解決の手続について一言の相談もしなかった。

(2) 同月一四日ころ被告会社幹部らは、長崎陸運支局に赴き、五〇〇円問題の処理の仕方について同局係官に相談した。その際、係官は被告会社の者に対し、「客が勤務先の都合で四一〇円の料金領収書が必要であるなら、運転手さんと相談し、運転手さんがチップと思って処理しているだろうから、事情を説明して、会社が料金領収書を作成したらよい」と説明し、原告に事情を話し、原告から四一〇円を受けとって料金領収書を作成するようにと指導した。

ところが、被告会社は、長崎陸運支局から右のような指導をうけていたにもかかわらず、原告に対し何らの相談ないし指導も行わないまま、同月一八日川崎を会社に呼んで四一〇円の領収書を作成交付し、原告を懲戒解雇した。

(3) 以上のように、被告会社は原告を企業から排除したいばかりに、陸運支局の助言に従った公正かつ適切な手続も履行せず、原告を不法行為者のごとくデッチ上げて懲戒解雇にしたのである。

(4) その後、聞くところによると、川崎は暴力団一誠会若頭補佐であり、株式会社長崎タクシー会館に居住していたこと、本件発生当時、同人が勤めていたという松一商事は、同人が証言した場所に存在せず、又、電話帳等にも登載されていなかったことが明らかになっている。また、右のような四一〇円の領収書事件に執拗にくいさがった川崎の態度は極めて異常である。そうすると、本件は、まさに、原告を解雇するために仕組まれたワナであると疑って差し支えない事件である。

(三) 本件懲戒解雇は不当労働行為にあたり無効である。

原告は、本件当時全国自動車交通労働組合連合傘下の安全タクシー労働組合の書記長代行を努めていた。

被告会社は、かねてより活発な組合活動を行う右労働組合を嫌悪し、その組織破壊をねらっていたものであるが、原告が同組合書記長代行であるところから、同人を企業から排除して組織に決定的影響を与えようと企て、右川崎のチップ問題を口実に原告を懲戒解雇して企業から排除しようとしたものであり、右懲戒解雇は、労働組合法七条三項の支配介入にあたり違法、無効である。

4  名誉毀損

(一) 被告会社は、昭和六二年一〇月一八日、不特定多数の者が出入りする本社事務室の黒板に、次のように大書し、継続して一四日にわたって掲示した。

告示(昭和六二年十月十八日)

当社永野修乗務員を左記事実に基づき昭和六十二年十月十八日付をもって懲戒解雇処分にしたことを告示します。

昭和六十二年十月七日午後十時頃料金メーター不倒にてお客さまを乗車させ、料金を横領着服

(二) しかし、被告会社は、前記事実の経過からみて、原告に料金を横領着服する意思がなかったことを熟知しており、また長崎陸運支局係官の指導でもこれが犯罪にならない事案であることを知り得たことは明らかである。したがって、被告会社の右告示行為は故意又は過失により原告の名誉を著しく毀損し、原告に重大な精神上の損害を与えたもので、不法行為にあたる。

(三) 原告の右精神的損害を金銭に換算すると三〇〇万円を下らない。

また、原告の名誉を回復するには、別紙二の一記載の謝罪文を被告本社出入口に同二記載の条件で掲示するのが相当である。

さらに、原告は、被告が誠実な対応をしなかったため、本件訴訟を原告訴訟代理人に委任して提訴せざるを得なくなり、同弁護士に手数料、報酬として五〇万円を支払う旨約し、同額の損害を受けている。

5  本件請求

よって、原告は、(一)本件解雇が無効であって原告が被告に対し雇用契約上の権利を有する事の確認を求めると共に、被告に対し、(二)解雇の日から毎月一〇日に一か月一八万〇二九四円の賃金の支払、(三)前記精神的損害の内金一五〇万円と弁護士費用五〇万円の合計額二〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年一〇月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払、並びに、(四)別紙二の一記載の謝罪文の同二の条件による掲示を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項の事実は認める。

3(一)  同3項(一)の主張は争う。

同項(一)の(1)の事実のうち原告がマツハヤ前から川崎を乗車させたこと及び江の浦町に着いてからのいきさつは認めるが、その余は不知。

同(2)、(3)の事実のうち原告が戻ってきたとき川崎は下車した付近に立っていたのではなく歩いていたのであり、また、原告がメーターも倒さずに走行した距離は、約九三メートルである。その余は不知。

(二)  同3(二)の主張は争う。

同項(二)の(1)の事実のうち川崎が九七〇円と四一〇円の領収書を要求してきたこと及び原告が五〇〇円をチップとして受領したと説明したこと、被告会社が当初領収書の発行を拒否したことは認めるが、その余の事実は争う。

同(2)ないし(4)の事実のうち被告会社が原告を懲戒解雇したことは認めるが、その余の事実は否認する。

長崎陸運支局の係官が被告会社側にした説明は「タクシーの料金は一回乗車ごとに支払われるべきものであるから、二回目の分についても会社から四一〇円の領収書を発行すべきではないか」ということであった。他方、原告は受領した五〇〇円がチップであるとの主張に固執し、その返還に応ずる態度を全く示さなかった。そこで被告会社は、やむなく被告会社名で料金領収書を交付したものである。

(三)  同項(三)の主張は争う。

原告が安全タクシー労働組合の書記長代行をつとめていることは不知。その余の事実は否認する。

4  同4項(一)の事実は認める。

同項(二)の事実は否認し、その主張は争う。

同項(三)のうち訴訟委任の事実は認めるが、その余の主張はすべて争う。

5  被告の反論

被告は、原告が川崎をタクシーに乗車させながらメーターを倒さず、かつ同人から受領した五〇〇円を運転日報に記載せず被告会社に報告しないでこれを自ら領得したことが、タクシー代金の着服横領行為であって、就業規則第二八条第三号、第六号、第八号、第九号及び第一六号に該当するとして、原告を懲戒解雇した。

原告の主張に対する反論は以下のとおりであり、本件解雇は、就業規則に基づいて適法になされたもので、これが無効とされるいわれはない。

(一) 原告は、川崎の江の浦町での第二回目の乗車にあたりメーターを倒さなかったことについて、乗客に対するサービスであり、社会通念上何らとがめられるものではなく、会社に損害を与えたことにはならないと主張する。

しかし、運転手がタクシーに乗客を乗せる場合に、メーターを倒し、正当な料金を請求し受領するのは理の当然であり、乗客としても、職業運転者であるタクシー運転手に対し無償で乗車させること(サービス)を期待し、あるいは要求することは、社会通念に照らしてあり得ない。また、運転手が乗客を乗せる場合に必ずメーターを倒し、正規の料金を請求するのは、タクシーが運転手個人のものではなく、ガソリン代などの営業経費も雇主であるタクシー会社が負担している以上、右タクシー運行により得られる利益は全てタクシー会社の管理下におかれるべきであるとの当然の理由からして、タクシー運転手の会社に対する雇用契約上の義務だというべきである。要するにメーターの不倒は社会通念に反し、かつ、タクシー会社に対する債務不履行にあたる。

原告は、本件二回目の走行が短距離であること及び一回目の走行との事実上の関連を重視しているが、走行距離の長・短は結果論に過ぎないだけでなく、仮に短距離だからといってもこれにより前記原告の被告会社に対する義務が消滅するわけではないから、この点についての原告の主張も理由がない。

次に、一回目の走行との関連を重視したからといって、二回目の乗車についてメーターを不倒にする合理的理由は存在しない。例えば、バスや電車の乗客が間違えて目的駅の手前で降車した場合に、目的駅までの再度の乗車を無償にすることがあり得ないのと同様だからである。

また、メーターの倒・不倒を運転手の判断に任せた場合の弊害が重視されなければならない。すなわち、タクシー会社は零細な料金の集積により経営を維持しているのであるが、運転手の判断によってメーターを倒さず、乗客から受領した金員を会社に報告・納入することを要しない場合を認めると、かかるケースが増大することは火をみるより明らかであり、その結果、タクシー会社の経営は根底からくつがえってしまうのである。

そこで、各タクシー会社は、従業員に対しかかる行為を厳重に禁止しており、メーター不倒の禁止はタクシー運転手にとって業務上の常識になっている。現に、業界の指導書によると、わずか数メートルのメーターの倒し忘れでもメーター不倒として扱われ、相応の処分を受けるものとされており、ましてこれが故意になされたときは、厳重な処分がなされるのは当然である。ちなみに、タクシー会社(個人タクシーを含む)は、メーター不倒の運転手を発見した場合に経営者に報告するため合同で「街頭指導員」を雇入れているが、前記のように、メーター不倒の事例が頻発すると、タクシー会社は料金の不収受に加え、かかる指導員の増加雇入という無駄な費用を負担せざるを得ず、かかる面でも、その経営を揺がすことになる。

したがって、お客を乗せた場合その都度正確にメーターを倒し、運転日報にその記載をして、受領した料金を会社に納入する行為は、タクシー運転手に課せられた最小限の義務であるというべく、タクシー会社も、その指導を徹底させているのであるから、前記のように九〇メートル以上を故意にメーター不倒で乗車させた原告の行為が、タクシー運転手として弁解の余地のない違法行為であることは明らかである。

(二) 次に原告が、受領した五〇〇円を領得した行為が問題となる。

原告は、二回目の乗車はサービスであり、メーターを倒しておらず、受領した五〇〇円はチップであると主張するが、仮にメーター不倒であっても、運転手は会社所有のタクシーに乗客を乗せ、会社の経費で運行しているのであるから、乗客が支払った金員はその性格の如何を問わず全て会社の所有であり、運転手はこれを預かっているに過ぎないから、勤務時間終了時にこれを会社に納金しなければならず、これを怠れば着服横領になる。

また、原告のいう「サービス」は、個人としてのものではなく、被告会社の従業員として被告会社のサービスを代行したものであるから、チップも原告個人に対するものではあり得ない。もっとも、被告も、タクシー運転手が九七〇円の区間を走行して乗客から一〇〇〇円の支払を受けたときに差額の三〇円を受領する(第一回乗車)行為までを非難し、横領罪に該当すると主張するものではない。むしろ我国においても、チップはかかる範囲内では慣習化しているものと考えるが、逆に、かかる範囲を超える金員の受領は着服横領にあたる。したがって、仮に原告のいうような事情があったとしても、原告が受領することができるチップは右五〇〇円のうちから料金四一〇円を控除した九〇円でなければならない。被告会社のタクシーとガソリンを使用しながら、料金性を有する四一〇円をもチップとして着服しようとする原告の態度と性格は、前記運転手としての最小限の義務に違反しているだけではなく、犯罪的性格を帯びているというべきである。

(三) さらに、原告は、本件が発覚し、監督官庁もその事実を知り、又乗客から領収書の発行を要求された以後も、受領した五〇〇円全額がチップであって、自己が領得して良いものだと主張し、被告会社に対する納金を肯んじようとせず、自己の不正行為について全く反省の態度を示さなかった。

すなわち、最終的には組合側も少なくとも四一〇円は料金にあたると判断して、原告に対しこれを被告会社に納付するようすすめたのに、ひとり原告のみが、頑迷にも五〇〇円全額がチップであると主張し続けたのであって、原告には前記タクシー運転手として要求される義務を考慮しようとの態度は見られず、反省の色は皆無であった。

そこで、被告会社としても、かかる原告の雇用を続けることは他の従業員との関係から百害あって一利なしと判断し、企業防衛の見地からやむなく懲戒解雇に踏み切ったのである。

なお右の点につき、原告は被告会社の指導が不十分であった旨弁解するが、右弁解はいわれのないことである。義務違反の行為を敢えてなした原告に対し、被告会社が反省を求め、その誠意を認めたときには雇用を続けることがあり得るであろう。しかし、右のように、被告会社の説得にも組合側の説得にも応ぜず自己主張のみを繰り返す原告に対し、被告会社の指導の余地は全くなかったからである。

以上のとおりであり、原告に対する被告会社の本件解雇は、就業規則に基づき適法になされたものであって、これが濫用だとされるいわれはない。

第三  証拠<省略>

理由

第一本件懲戒解雇の無効について

一当事者間に争いがない事実

請求原因1項(当事者)、2項(本件懲戒解雇)の各事実、並びに、同3(一)(1)のうち原告がマツハヤ前から川崎を乗車させたこと及び江の浦に着いてからのいきさつ、同項(二)(1)のうち川崎が各領収書を請求したこと、原告が五〇〇円をチップとして受領したと説明したこと、被告会社が当初領収書の発行を拒絶したことは、当事者間に争いがない。

二事実の認定

前記当事者間に争いがない事実並びに<証拠>を総合すると、次のような事実を認めることができ、<証拠>のうちこれに反する部分は措信できない。

1  原告が昭和六二年一〇月七日午後一〇時ころいつものとおり長崎市上田町のバス停付近にあるマツハヤ前で客待ちをしていたところ、川崎が乗車してきて行先を江の浦町と指示した。そこで原告は江の浦町に向かったところ、行先は住家が密集した狭い登り道の奥で路地が入り組んで辻が多く、原告は川崎にこの辻ですか、いやこの辻ではない、では次の辻ですかといった具合に、下車場所を尋ねながら徐行して進行した。

そして、結局一番奥の辻で停車を指示され、川崎を下車させたが、その際、メーターの料金が九七〇円になっていたのでこれを請求したところ、川崎は一〇〇〇円札を出し「ツリはよか」といった。そこで、原告は礼を述べ、九七〇円を料金とし、三〇円をチップとして処理した。

原告は、その道をそのまま約三〇メートル位前進して行き止まりのところで、ユーターンして戻ってきたところ、川崎が下車した辺りの道の反対側で手を上げたような首をひねったようなことをしていたので、原告はその脇で停車し、この辻ではなかったのかと聞いたところ、ここではなかったという答えであった。そして、それじゃあもうひとつ手前の辻じゃなかったですか、そうかもしれん、それじゃそこまでだから乗らんですかといった趣旨のやり取りがあって、原告は再び川崎を乗車させ、料金メーターを倒さないまま約九〇メートル程下った二つ目の辻で川崎を下車させた。

下車する際、川崎がお金を出すような素振りが見えたので、原告は料金メーターを指差してメーターを倒していませんからいいですよと断ったが、川崎は「よかよか」というような言い方をして、運転席と助手席の間から、助手席にぽんと五〇〇円硬貨を置いて下車していった。

原告としては、川崎を二回目に乗せるときから、自分が乗せて奥まで来て行き過ぎてしまった客であるし、どうせ自分もユーターンして帰る途中で、一辻か二辻のことであるからサービスのつもりで乗車させたもので、したがって、メーターも倒さず料金を請求する意思などなかったのであるが、川崎が、メーターを倒していないからいらないと言ったにもかかわらず敢えて五〇〇円硬貨を置いていったその時の様子などから、親切にしてあげたことに対する好意としてチップを置いていったものと考えて、特にこれを運転日報に記載しなかった。

2  ところが、それから三日たった同月一〇日昼ころ、非番で寝ていた原告は被告会社の松尾営業部長から、客が領収書の発行を求めているが、日報に載っていないのがあるから会社にきて説明してくれとして呼び出された。

この点について、松尾は、同日午前一〇時ころ客から電話があり、領収書を発行してほしいというので、乗車日時や車番等を聞いたところ、昭和六二年一〇月七日午後一〇時ころで、乗務員の名前は判らないが一〇七号車であるとの申し出があり、日報を調べたところ九七〇円の記載があったので間違いないようだと言うと、外に五〇〇円を置いて下車したから、九七〇円と四一〇円の領収書を発行してくれと要求された旨を述べている。

原告は同日昼すぎ会社に行ったところ、日報を示されたので、当日のことを思い出しながら、事情聴取にあたった濵﨑総務部長及び松尾営業部長に対し、五〇〇円硬貨はチップとして受け取ったものであるとして、前記認定のような経過を説明した。

濵﨑らは、川崎と原告の言い分が違うとして、川崎に電話をして同日二時ころ川崎を被告会社に呼び出した。川崎は、その席でも被告会社に対し九七〇円と四一〇円の領収書を切ってほしいと要求した。このとき、二回目の乗車(なお、当時は二回目の乗車の距離は七、八〇メートルとされていた)や五〇〇円硬貨授受の経過など事実関係については川崎と原告の言い分に大きな食違いはなかったが、五〇〇円硬貨の趣旨については、原告がメーターを倒していないからいらないと言ったのに置いていったのだからチップとして受け取ったものと思ったと述べたのに対し、川崎は、自分はタクシーに乗ったのだから料金のつもりで払ったのだ、二回もチップをやるはずがないと主張し、結局、原告はそれ以上反論しないで黙ってしまった。なお、原告は、川崎を呼び出す際の電話での話でも、また、川崎が来てからのやり取りのなかでも、領収書を切ること自体はこれを肯定していた。しかし、被告会社側は、四一〇円が日報に載っていないから領収書は切れないとあくまでも主張し、一日二日待ってくれといって川崎を帰した。

3  川崎が帰った後、原告は濵﨑総務部長らに対し、川崎はヤクザ風で指を詰めており、なにか因縁をふっかけて来るかもしれないから領収書を切ってくれと頼んだが、濵﨑らは、嘘の領収書を書いてやればまたそれに対しゆすられる恐れがあるなどといって領収書を切ることを承諾しないので、原告は、普段はヤクザにひどく弱い体質の会社なのに変だと思い、さらに、川崎の指が両方無いのを見たでしょうと言っても、濵﨑らが見ていないとか、ケガでもしたのではないか、早計にヤクザと決め付けるべきではないなどと答えるところから、これはおかしいと思うに至った。そこで、原告は、前記五〇〇円硬貨の授受の状況に照らして原告としてはあくまでもこれをチップと思って受領したものであることを強調した。

4  その後、同月一二日午後五時一〇分ころ、原告宅に川崎から電話があり、領収書はどうなっているのかと聞いてきた。原告が会社に頼んでいるが会社が発行してくれないから困っていると答えると、川崎は、あんたの名前でいいから領収書を書けといい、わざわざ原告宅近くまで領収書を取りにきた。そこで、原告は川崎に対し五〇〇円の領収書に、「ただしチップとして領収しました」と書いて渡したところ、川崎はタクシー代として領収した旨の領収書を書けというので、原告がこれを断ると、川崎は怒って、陸運事務所に行くといって帰ってしまった。

5  川崎はその翌日、長崎陸運支局に運転手が運賃としての領収書を発行しないと訴えた。そのときの川崎の説明でも五〇〇円を支払った経過は前記認定のようなことであった。そこで、陸運支局では、川崎に対し、運賃として払ったというなら会社から領収書を貰いなさい、会社は運転手と話し合って、運賃として払ったけれども運転手がチップと勘違いしたということで日報にそういう事情を載せ、四一〇円を会社に入金するようにさせれば何にも問題はないはずだからそういうことで処理してもらったらどうかといって帰した。その後、陸運支局は、その旨を被告会社に伝えたところ、被告会社の社長と松尾部長及び県タクシー協会の専務が来たので、同様のことを指導した。そうすると専務が、運転手が四一〇円を返さないときはどうだというので、会社が領収書を書いたのに、なお運転手がチップだとして四一〇円を返さないというのでは筋が通らないとの見解を示した。

6  同月一五日ころ、原告が濵﨑にあのヤクザはその後何か言ってきたかと聞いたところ、お客さまに向かってヤクザとは何事かと言い争いになったが、その後松尾部長からあの件はもう少し待ってもらっているという話があったので、原告は川崎と被告会社で交渉がなされているものと考えていた。他には原告と被告会社の間で領収書の問題で相談することはなかった。

7  その後同月一八日、被告会社は川崎と原告を会社に呼び、川崎に対し、陸運支局からの強い指導があったので領収書を発行するということで、あらかじめ用意しておいた領収書を渡し、川崎を帰した。そのうえで、松尾は、原告に対し、監督官庁にも公になったし、会社としても処分を考えざるを得ない、それでは君の履歴に傷がつくから辞表を出したらどうか要求した。原告がこれを拒否すると、その場で、濵﨑総務部長から原告を懲戒解雇する旨の通告が口頭でなされた。その間、被告会社側から原告に対し、領収書を切ったのだから、四一〇円を会社に入金するようにとか、その場合日報を訂正すれば問題はないとかの話は一切なされなかった。そして、同日、被告会社は、原告に対し内容証明郵便で懲戒解雇通告書を郵送した。

三本件懲戒解雇の当否について

1  本件懲戒解雇が、請求原因第2項記載のような横領着服などの事実を認定したうえで就業規則二八条第三号、第六号、第八号、第九号、第一六号を根拠としてなされたことは当事者間に争いがないが、<証拠>によると、右二八条の各号は、以下の場合に該当するときは懲戒解雇をする旨を定めている。

二八条第三号 職場及び車両放棄、料金使い込み又は料金の流用等の行為があったとき

同第六号 料金メーターを不正操作したことが発覚したとき(以下略)

同第八号 会社のあるいは会社の保管している金銭物品を横領着服したとき、(中略)、収受運賃料、物品を会社に納めなかった者(以下略)

同第九号 会社所有の車両及び付随する物件を許可なくあるいは詐って営業外の目的に使用したりした(中略)者

同第一六号 業務に関して会社を欺き事業上の損害を与えたとき

2 そこで、前記二項で認定した事実を前提として、右懲戒解雇該当事由の有無及びこれに関する被告の主張の当否についてさらに検討すると、以下のとおり認定・判断される。

(一) 原告が、川崎を二回目に乗車させたのは、誤って奥まで連れてきてしまった客を帰りのついでにサービスとして便乗させただけのことで、乗車距離は最初から数十メートル(一辻か二辻)だけであることが分かっており、原告としては始めから料金を請求する意思など全くなかったのである。このような場合に、原告が料金メーターを倒さなかったからといって、被告の主張するようにそれが社会通念に反するとか、被告会社に対する債務の不履行であり、弁解の余地のない違法行為であることが明らかであるなどとは到底解されない。

被告はメーターの倒、不倒を運転手の判断に任せた場合の弊害を強調し、業界においてメーターの不倒は厳しく禁止されており、たとえ数メートルでもこれに当たると指導されているのであって、この点をあいまいにすることはタクシー業の経営自体を危うくするとまで主張する。たしかに、<証拠>によって、メーターの不倒を禁止する目的と取り締まりの実効性を考えるならば、業界で禁止している「メーター不倒」とは、これをいわゆる形式犯的に捉え、故意過失の有無を問わず成立し、かつ走行距離の長短を問わないと解することにも理由がないわけではない。そうすると、本件の場合も形式的には一応これに該当するということもできようが、だからといって、そのことから、原告が前記のような事情のもとで料金メーターを倒さなかったことが実質的な意味で違法であるとか、ましてや、それが何らかの懲戒処分の対象になり得る行為にあたるという結論を導くことは到底できない。それはいわば右のような指導基準ないし取締まり規定を適用する以前の良識の問題であって、逆に、本件のような場合にメーターを倒して料金を請求するとしたらむしろ社会通念に反し、顧客の期待にも副わずトラブルが生ずることは目に見えていると言うべきである。

(二) 次に、川崎が置いていった五〇〇円硬貨を原告がチップとして扱い、運転日報に記載しなかったことが問題となる。しかし、この点も、原告がメーターを倒していないからいらないといったのに川崎が「よかよか」と言いながら気前良く座席に置いていったものであることなど前記認定のような前後の事情を考えると、原告がこれをチップとして理解したことも無理からぬことであるというべきである。もとより、金額が大きいことや客としては料金のつもりで置いていったのかも知れないという可能性をも考えるならば、これを一応料金として扱い、内金四一〇円を日報に記載し、被告会社に連絡していわゆるメーター忘れとしての措置を取ることも十分考えられるし、あるいはその方が間違いのない取り扱いであるということもできよう。そうすると、この点で原告は多少軽率であったのかもしれないが、しかし、それも後から言えることであって、前記の認定のような事情のもとで原告がとっさにこれをチップであると思ってしまったことを非難するのは相当でない。まして、原告に不法領得に意思がないことは明らかであって、その行為が料金の着服・横領等に当たらないことはいうまでもない。この点に関する被告の主張はいずれも採用できない。

(三) もっとも、その後客が右四一〇円はチップではないとして領収書を求めてきた以上は、右四一〇円はこれを料金として扱うのが相当である。もとより、原告としても当初はそのように考えたからこそ、川崎に対し敢えて当時の事情について深く反論せず、被告会社に対して、川崎に四一〇円の領収書を切るように頼んだものと解される。そして、被告会社に四一〇円の領収書を切るよう頼んだ以上は、これを料金として扱うことを意味するから、原告が同額を被告会社に納金するつもりであったことは当然である。

ところが、その後原告は被告会社に対し五〇〇円硬貨をチップとして受領したことを強調するに至っている。そして、被告はこの点を捉えて、原告が乗客からの領収書の請求以後も全額がチップであることに固執し、会社への納金を肯ぜず、自己の不正に反省の態度がなかったと主張する。そこで、以下この点についてさらに検討する。

(1) まず、原告が当初は四一〇円を料金として扱うことを肯定し、むしろそれを求めていたことは前記のとおりである。ところが、被告会社が日報に記載がないことを理由に頑なに領収書の発行を拒否することなどを見て、原告は、前記認定のとおりどうも変だと疑いだした。そして、証人中島英則の証言及び原告本人尋問の結果によると、原告は、被告会社には何らかの隠された意図があるのではないか、ここで原告が四一〇円を料金として扱うことを安易に認めると、原告が当初からこれを料金として受領したことを認めたことになり、そのことを日報に記載しなかったのは着服の意図があったということにされるのではないかと疑うようになったのである。そのために原告は、以後、被告会社に対し原告としては当初五〇〇円硬貨をチップとして受領したことを強調するに至ったものと解される。

(2) しかして、被告会社の意図に対する原告の右のような疑惑は、まことに無理からぬことというべきである。

すなわち、そもそも、当初は気前良く一〇〇〇円と五〇〇円を支払った客が、その後数日して(原告のタクシーのナンバーまで指定して)わざわざタクシー会社に少額の領収書の発行を求めてきたということ自体、考えてみるとはなはだ不自然なことである。また、会社の従業員たる運転手が右五〇〇円を受取ったことが確認され、それを料金として解釈する余地があり、現に運転手も領収書の発行を求めているのに、被告会社が頑なに領収書を発行しないというのも筋の通らない話である(けだし、運転日報に記載があるか否かは、会社と運転手の内部処理の問題であり、顧客との関係では会社として既に料金を受領しているというべきであり、このような取引界の常識を会社の部長が二人とも心得ていないということはありえない。)。しかも、原告が川崎は指を詰めておりヤクザだから領収書を切ったほうがいいというのに対し、右部長達はこれを隠すような言い方をし、素直に応じなかったし、その後には、川崎が原告に対し直接、料金としての領収書を発行するよう求めて来ているのである。

また、原告が右のように被告会社の意図を疑うに至った背景として、<証拠>及び当裁判所に職務上明らかな事実によると、被告会社には、昭和五六年に安全タクシー労働組合が結成されたが、被告会社は昭和六〇年一二月に同労組の書記長及び初代書記長を解雇し、同労組はこれが不当労働行為にあたるなどと主張して訴訟が継続中であること、原告は昭和六一年から書記長代行として積極的に組合活動を行ない、同労組の中心的メンバーの一人であったこと、川崎が乗車した時間に原告がマツハヤの前に待機していることは、会社側もよく知っていたこと、同労組役員らは、昭和六二年春、被告会社社長が暴力団佐竹組組長と会っているのを目撃したことがあり、普段から、社長は暴力団と付き合いがあると理解していたことなどの事情が認められる。

さらに、その後の現実の事態は、前記認定のとおり正に原告が危惧したとおりに推移している。しかも、その後、<証拠>によると、川崎は、本件当時暴力団一誠会の若頭補佐であったこと、一誠会の組員西一昭は原告に対し、被告会社社長が一誠会事務所に電話をしてくる旨を話したこと、川崎は本件当時長崎市出島町一二番二〇号所在の株式会社長崎タクシー会館四階〇号室に居住していたこと(なお、同人は不動産屋の紹介で右タクシー会館〇号室に居住するに至ったと証言するが、その経緯はあいまいで裏付けもない)、また、同人が当時嘱託をしておりその経費として落とすために本件領収書を必要としたという有限会社松一商事が同人のいうビルに存在せず、実在が疑われること、などの諸事情が本件訴訟継続中に明らかになってきている。

(3) そうすると、前記のように原告が被告会社の意図を疑ったことは、当時の諸事情に照らしてみても、また、その後判明してきた諸事情を参照してみても、まことに無理からぬものであったというべきである。したがって、これに対抗して、原告が被告会社に対して当初五〇〇円をチップだと思って受領した経緯を強調したことは当然である。そして、この点を強調した原告の真意は、これによって四一〇円を被告会社に入金すること自体を拒否しようとしたものではなかったことも明らかである。

(4) したがって、仮に、被告会社が、原告が五〇〇円を当初チップと思って受領した事実を素直に認めたうえで、陸運支局も指導したように少なくとも客が領収書を求めてきた以上は、内金四一〇円は料金として扱うのが相当であるから、これを運転手の勘違いとして内部処理したいとして原告の承諾を求めたならば、原告がこれを拒否したとは到底考えられない。

ところが、被告会社は、当初原告が領収書の発行を求めたときはこれを拒否し、その後陸運支局の指導によってこれを発行した後にも、改めて右の様にして原告に対して四一〇円の入金を求めることをしなかったのである。

以上のような検討の結果によると、川崎が領収書を求めてきた後、四一〇円の処理が円滑になされなかった原因は、むしろ、原告の前記のような疑惑に原因を与えておきながら敢えて原告の真意を酌もうとせず原告の行為を着服横領にあたると決め付けようとした被告会社の対応にあるというべきであり、この点で、原告を非難することは相当でない。

3  まとめ

以上のとおりであるから原告が前記認定のような経過で川崎をメーター不倒のまま乗車させ、同人の置いていった五〇〇円硬貨をチップとして扱い、被告会社に対しこの経緯を強調した行為などは、料金の横領着服に該当しないことはもとより、何れの点においても、前記各懲戒事由に該当せず、あるいは形式的にこれにあたるように見えても、懲戒解雇に相当するような違法性を有するものとは到底いえないことが明らかである。したがって、被告会社の本件懲戒解雇は、その前提とする事実の認定を誤り、あるいはその評価を誤り、その結果懲戒解雇事由がないのになされたものであるというほかはない。

四小括

以上の次第で、本件懲戒解雇は、その余の点について見るまでもなく無効であるから、原告は、被告会社に対し雇用契約上の権利を有するものというべきである。

したがって、被告会社に対し、右雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認、及び、解雇のなされた昭和六二年一〇月一八日以降毎月一〇日にその額については争いのない賃金月額一八万〇二九四円の支払を求める原告の請求は、いずれも理由がある。

第二名誉毀損について

一当事者間に争いがない事実

請求原因4項(一)(告示の掲示)の事実及び同項(三)のうち訴訟委任の事実は、当事者間に争いがない。

二名誉毀損の事実について

右当事者間に争いがない事実、前記第一の二項、三項で認定した各事実並びに<証拠>を総合すると、以下のとおり認定・判断される。

1 原告の行為が何れの点においても料金の横領着服に当たらないことは前述のとおりである。

2 また、原告の行為が右のとおり料金の横領着服に当たらないこと、並びに、原告に料金メーター不正使用の意図及び料金不法領得の意思がなかったことは、原告と川崎の二回目の乗車の経緯及び五〇〇円硬貨授受の状況などの事実関係に関する供述が基本的に一致しており、事実経過自体の認定は容易であったことや、その後の陸運支局の指導などに照らして、被告会社にも十分明らかであったというべきである。

ところが、被告会社は、前記認定のような労使関係を背景に、料金着服等を理由に原告を懲戒解雇するとともに、被告会社の総務部長である濵﨑らにおいて、敢えて、被告会社一階運転従業員控室兼食堂に設置された大型の黒板に、請求原因4項のとおり、原告が料金メーター不倒にてお客さまを乗車させ、料金を横領着服したので懲戒解雇した旨を大書して、少なくとも約二週間これを掲示した。

3 右運転従業員控室兼食堂は事務室及び無線配車室にもつながっており、被告会社従業員多数が常時出入りし、休憩などするほか、部外者もしばしば出入りしており、原告の名誉は右掲示によって毀損され、原告は著しい精神的苦痛を被った。

4 以上の事実は、濵﨑らの故意に基づく不法行為に該当するというべきであるから、その使用者である被告会社はこれによる損害を賠償するなどの義務を負う。

三損害等について

1  原告が前記名誉毀損行為によって被った精神的苦痛は、前記掲示のなされた期間、場所、表現、原告の被告会社や労働組合その他における社会的地位、その他本件に表れた諸般の事情を総合勘案すると、これを金銭に換算するならば、少なくとも、四〇万円を下らないものというべきである(ちなみに、本件において原告は、懲戒解雇処分自体を不法行為に該当すると主張している訳ではないから、賠償の対象となる精神的苦痛は、名誉毀損自体に関するものに限定される。)。

2  また、原告の毀損された名誉を回復するためには、原告の請求するように被告会社に謝罪文の掲示を命ずるのが適当である。

ただし、前記被告会社の名誉毀損文書の掲示場所が、部外者も出入りする場所であるとはいえ、会社の構内であり、また、原告の名誉の毀損も主に被告会社従業員内部において生じているものと考えられることなどによると、名誉回復措置としての謝罪文は、前記名誉毀損文書の掲示場所である被告会社一階運転従業員控室兼食堂に設置された大型の黒板の付近のおいてなせば足りるものというべきである。

また、その表現も、前記掲示の横領着服の事実が存在しないこと及び謝罪的文言があれば足り、将来これを繰り返さない旨制約するなどの文言は相当でない。

しかして、前記認定の諸事情等を総合すると、謝罪文の文言は、原告の請求する謝罪文の趣旨の範囲内で、別紙一の一記載のようにするのが相当であり、また、その方法なども同二記載の条件によってなせば足りるものというべきである。

3  次に、本件訴訟委任の事実は当事者間に争いがなく、本件訴訟の経過、認容額その他の事情に照らすと、原告が支出した弁護士費用のうち一〇万円は、本件名誉毀損の不法行為と相当因果関係のある損害にあたるというべきである。

四小括

以上の次第で、原告の本件損害賠償及び謝罪文掲示の請求のうち、合計五〇万円の損害の賠償及びこれに対する不法行為の日である昭和六二年一〇月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の請求、並びに、別紙一の一の謝罪文を同二記載の条件で掲示することを求める範囲で理由がある。

原告の前記各請求のうち、その余の請求は理由がない。

第三結論

以上のとおりであるから、本件各請求を第一の四項及び第二の四項の範囲内で認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、仮執行宣言については、同法一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官小田耕治)

別紙一

一 謝罪文の文言

謝罪文

当社は、昭和六二年一〇月一八日より同年一一月二日まで当社事務所掲示板に、貴殿が同年一〇月七日午後一〇時頃、料金メーター不倒にてお客様を乗車させ、料金を着服横領した旨掲示しましたが、この度、裁判所によって、事実は、降車場所を若干間違えて降車した客を貴殿がサービスの積もりでメーターを倒さないまま約九〇メートル便乗させた際、メーターを倒していないので要らないと言ったにもかかわらず同客が一方的に置いていった五〇〇円を貴殿においてチップであると判断したものであって、料金の横領着服には当たらない旨判断されました。また、当社の先の掲示は、貴殿に対する名誉毀損に該当するとされました。

よって、当社は貴殿に対し、多大のご迷惑をおかけしましたことを、ここに深く謝罪いたします。

平成 年 月 日

有限会社安全タクシー

代表取締役 濵﨑行男

永野修様

二 謝罪文掲示の条件

1 掲示の場所  被告本社一階運転従業員控室兼食堂の大型黒板の横の見易い位置

2 掲示の大きさ  縦1.5メートル・横一メートルの白紙に大書きする

3 掲示の期間  掲示の日から二週間

別紙二

一 謝罪文の文言

謝罪文

当社乗務員永野修氏について、昭和六二年一〇月一八日より同年一一月二日まで事務所掲示板に、同氏が同年一〇月七日午後一〇時頃、降車場所を若干間違えて降車した客を約四〇メーターサービス乗車させ、同客がチップとして一方的に置いていった五〇〇円を料金の横領着服であるときめつけ、事務所掲示板に大書きした行為は、明らかに同氏の名誉を著しく毀損した人権じゅうりん行為でありました。同氏に多大のご迷惑をおかけしましたことは、眞に申訳なく存じております。当社としてはかゝる名誉毀損行為や人権じゅうりん行為を二度と繰り返さないため、同氏に誓約いたしますと共に、こゝに深く謝罪いたします。

昭和六二年 月 日

有限会社安全タクシー

代表取締役 濵﨑行男

永野修様

二 謝罪文掲示の条件

1 掲示の場所  被告本社出入口

2 掲示の大きさ  縦二メートル・横一メートルの看板に大書きする

3 掲示の期間  掲示の日から一ケ月間

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